2007年8月18日土曜日

パリ高級娼館女主人の告白

 ど~も~。銀座で大ブレイク中のベティで~す。中田カウス師匠、頑張れ!!(←他意なし)
 先日恵比寿駅界隈を歩いていた時のこと。20代前半 と思しきギャル(死語)二人とすれ違った。「アタシしみじみ思ったんだけど~、やっぱりさあ~幸せなひとのそばにいないと自分も幸せになれないな、ってぇ ~」「そうだよね~アタシもそう思う~」。わかってるじゃねぇか、コムスメ。また、JR新橋駅銀座口で出勤前(銀座のね)のお化粧直しをしていた時のこ と。20代前半と思しきギャル(死語)二人が同じくお化粧直しをしていた。「アタシしみじみ思ったんだけど~、計算しながら恋愛するひとってやっぱりダメ なんだよねぇ~」「アタシも~。真っ向勝負して欲しいよね~正直にぃ~」。わかってるじゃねぇか、コムスメ。いいぞ!!それはさておき、JR新橋駅の銀座 口改札横にある女子トイレは、平日19時過ぎの時間帯ともなるとせっせと顔を作っている銀座のお姉さん達でごった返している。縦列になって塗り塗りしてい る様子はまさに圧巻である。オレは、「ふ~ん、このマスカラだとこんなにボリューム出るんだぁ…」とか「キレイな巻き髪に仕上げるにはこうするのね…」と いったアンバイでお姉さん達のテクを盗み見している次第である。メーク前と後では文字通り別人になってしまうお姉さんも多々。いやはやお化粧は上手いに越 したことはないっすね。
 そんなことよりも。諸般の事情により、辻堂で編プロをやっている叔母(マイ母の妹)の跡目を継ぐことになりそうなオレで ある。主なクライアントは小田急箱根ホールディングス様。思わず、様付けである。小田急電鉄様の「箱根NAVI」と箱根観光協会様の「箱根全山」というサ イトの記事(?)の企画・取材・執筆・編集・制作をするのがメインのお仕事。あとは箱根観光協会の『箱根悠遊』という機関誌を年2回発行する他、ヤマハ ミュージックのPR誌なども作っている。webと紙の二本柱だ。叔母については追々伝えるとするが、非常~にオレと似ているので(姿形ではなく生き方が) オレは多大なシンパシーを寄せている。ただ身内と仕事をすることに対してはとても抵抗があったので、今まで手伝いすらしたことがなかった。が、叔母もだん だんと年をとってきたため、取材等はキツクなってきたようだ。叔母にはオレの弟と同い年の優秀な一人息子がいるのだが、渋谷にある某国営放送に勤めてお り、そこに骨を埋めるようなのでオレがひと肌脱ぐことになったわけだ。恵比寿に銀座に箱根。何だか最近のオレはものすごく働き者である。
 先週木 曜日に小田原にある小田急箱根ホールディングス様の本社にて行われた「箱根NAVI」の編集会議に初参加してきた。東京駅8:22発の東海道線快速アク ティで一路小田原へ。すっかり遠足気分である。空気はおいしいし景色はいいし、の~んびりとした風が吹いている。「サイコーじゃん、小田原!住んじゃおう かな」やや真剣に考える。会議の前にまずは電鉄だのエージェンシーだのトラベルだの登山鉄道だのバスだの観光船だのロープウェイだの、いっぺんに20人く らいの大量のオッサン達と名刺交換をした。「杉山さん(叔母の苗字)、杉山さんのオフィスはスタッフの方何人なんですか?毎回いろんな方が見えますけど ~。100人位いらっしゃるんじゃないですか~?」と、叔母はエージェンシーのお兄ちゃんにツッコまれていた。「手伝いたいって沢山のコが言ってくれるん ですよ。主に元教え子なんですけどね」「じゃあ、この方(オレのこと)も『ごきげんよう軍団』なんですか?」「ええ、彼女は湘南支部ですのよ」「湘南支部 ですかぁ~」。ごきげんよう軍団とは?叔母は編プロを興す前に強羅にある函嶺白百合学園で教師をしていた。白百合!あの白百合だ。やんごとなき方もご卒業 なさった白い百合。あそこのご出身の婦女子は総じてごきげんよう軍団と呼ばれているようなのだ。どうやらオレは強羅ではなく、湘南白百合学園の卒業生とい うことになっているらしい。今やフツーの奥様達になられた筋金入りの元お嬢様達が、お小遣い稼ぎで月1,2回程度叔母の仕事のサポートをしてきた。この 20年間で5,60人はサポートしてくれたようだ。「ロンちゃん、女の子達いっぱい使っちゃって、『マダムDC』みたいじゃない」小田原帰りに戸塚の実家 に叔母と一緒に寄ったところ、マイ母が言った。「何?マダムDCって?」そう尋ねる叔母を差し置き、「ベティちゃん、知ってる?マダムDC」とマイ母が フッてきたのとカブリつつマイ父が「プロスティテュート(娼婦)だろ?」と答えた。オレの両親は元英語教師なので日常会話に頻繁に英単語が飛び交うのだ。 適度にアカデミックな家庭であったが、さすがに幼少時代のオレは英語で表現されると何の話題なのやら皆目見当がつかないこともたびたびであった。が、今は 違う。「パパ、マダムDCとは『マダム・クロード』のことよ。プロスティテュートではなくてそのコ達をとりまとめていた仕切り役の女性よ。パリの高級娼館 の女主人。ま、置屋の女将みたいなもんかな」。

 「男性を素敵にできるのは、女性だけ」 

 ご存知でして?マダム・ク ロード。本名クロード・グリュデ。フランスはパリの裏側で、男女の機微を操りながら、したたかに生き抜いた女性だ。華やかで美しいパリの街には、人間の欲 望が渦巻く怪しい裏の世界が隠れている。昔も、そしてきっと現在も。以下、『マダム・クロード 愛の法則』クロード・グリュデ著/伊藤緋紗子訳 知恵の森 文庫より抜粋する。
 彼女は1962年から1977年までの間、パリで娼館を経営していた。客は、貴族や皇太子、大物政治家、実業家や弁護士た ち、果てはケネディ大統領までいたという一流揃いで、もし彼女がこうした男たちのことを話し始めたら、フランス政府まで窮地に陥るとまで噂されていた。 「パリの一流ホテルから、石鹸と歯磨きの香りをさせた、一分の隙もない美しい娘が歩いてきたら、そしてすれ違うときに、あなたを少しだけ見下すようなそぶ りをしたら、それがマダム・クロードの娘(娼婦)たちだ」と、パリの新聞のコラムに書かれたほど、彼女たちの存在は人々の関心を掻き立てていたという。あ る政治スキャンダルに絡んで、彼女は警察の厳しい追及を受けることになるが、決して顧客の秘密を漏らすことはなかった。そんなこともあり、「鉄の神経をも つ女」として、さまざまにマスコミに取り沙汰されていたのだ。 
 自伝を出版した現在の彼女は、洗練された身のこなしで、一流のものを身に着
け、 とてもユーモアのある女性だそうだが、視線は鋭いという。そしてこう話すという。「クロードの館に関わったすべての人が、結局みんな幸せになっている。だ から、自分は良いことをしたと思う」、と。クロードの館の娘たちは、最終的には王妃になったり実業家と結ばれたりと、顧客の男性たちと幸せな結婚をした。 あるいは女優になったり、母国の復興に尽力したり、誰よりも女性としての栄華を手に入れたのである。マダム・クロードは、娘たちを厳しくしつけたらしい。 例えば、「ハンドバッグの中には、3つのポーチを必ず入れておきなさい。化粧品用、替えのストッ
キング用、そして口や身体のデオドラント用に」。 さらに、「男性を王様にしてあげなさい。決して自分を主張してはいけない。相手の話に相槌を3回打つだけで、必要のない限り自分の話はしないこと」。そう いうことを徹底的に教え込んだ。彼女自身、カソリックの修道院で厳格な教育を受けて育った。彼女が娘たちをしつけることができたのも、そんな背景があった からかもしれない。
 彼女はこうも語っている。「わたしの顧客たちには、魅力的で美しい奥様がいるのに、なぜわたしの館に通うのか。彼らは打ち明 けていたわ。それは家に自分の居場所がなく、妻が自分に関心を持ってくれないからだと」。娘たちは話をきちんと聞き、王様のように扱ってくれるからこそ、 彼らは会いに来るのだ、と。クロードの館で働きたいと言ってくる女性も多かったそうだが、いくら美しくても、自分に自信を持ち過ぎて人の話を聞かない女性 は、決して採用されることはなかった。 そして、どんなに権力のある男性でも、自分の魅力に自信を持てない人の方が多い、と彼女は語っている。だから、娘 と出かけたほとんどの男性は、後日、娘が自分のことをどう思ったか、その評価をクロードに確かめてきたそうだ。
 マダム・クロードが活躍した60 年代のパリはまだまだ男尊女卑の世の中で、今は時代も違う。彼女の評価はいろいろだろうが、参考になることも多いことは否めない。男性を素敵にするのはい つだって女性であるし、そうすることで自分も大切に扱ってもらえるのだということは、忘れてはならない教訓ではないだろうか。「男性を王様にしてあげなさ い、ねぇ…。ちょいと実践してみるか。大物政治家や大統領は来ないけどな。3つのポーチなんて学生の頃からちゃんと分けて持ってるしぃ~。素養はバッチリ じゃん、オレ。欠けてるのは美貌だけかも…ふふふ…」。
 かくしてオレはブレイクした。(←金城一紀「GO」からのパクリ)。
大ブレイク @銀座、である。「元気をもらったよ!沢山元気をもらったよ。あぁ、とてもとても楽しかった!話を聞いてくれて有り難うね。本当に、本当に有り難うね…」 と、オレに向かって涙目で握手してくる(しかも両手)オッサンが多発しているのだ…。やっぱり年配の人が多いかな。みんな寂しいのね。居場所がないのね。 とってもとっても可哀相なの。「そんなに喜んでくれて…アタシ、何もしてないのに…」と思いつつ、「そんなに言ってくれるならね、おじいちゃん。ここにハ ンコだけポンッと押してくれればいいからね」という言葉が口から出そうになるのを必死に堪える日々である。いや、ホント。年寄り転がし。これから昼間は辻 堂のマダム・クロードに、夜は銀座のマダム・クロードの元で磨かれるのね、オレったら…(ジローはオッサンだから問題外)。もう生娘、もとい、娘じゃない けど…。スムーズに流れたところで次回は銀座のマダム・クロード、ウチの店の悦子ママについて書きたいと思う。なかなか銀座の男と女の物語までいかねぇ な。徐々にユルユルとね。

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